船山義規
器 ‖HAMADARAKA
写真‖安彦幸枝
横川つばめ大根は、鹿児島は横川の在来種として引き継がれてきた。それが岩崎さんのお客さんの手を渡り、岩崎さんの土地で根づいてきたという。山東菜もまた中国から渡り、鹿児島を経て、雲仙の岩崎さんの畑で作られている。それらの野菜は岩崎さんの土と共に独自の成長を遂げ、紛れもなくその土地の野菜となっているのだと思う。両方ともやさしく素直で、横川大根は薄紅の下の実はたくさんの水分を含んでいる。今回は大根の皮と山東菜の端材をメインにブロードをとり、雲仙の湧水と言いたいところだが、ふつうにきれいな水で静かに火を入れてみた。その素直な大根に、グァンチャーレの脂と、ミズの実とケッパー、メンブリージョとクルミを添えて熱いブロードをひたひたに。仕上げはペコリーノ・ロマーノと、大根の葉のペストを山東菜で巻いた付け合わせで。もう一皿は、何ものにも染まる山東菜とサルシッチャを合わせ、パンにエシレバターとレバーペーストを塗り、パルミジャーノを削ってクロスティーニに。信楽の土で輪島を拠点に作陶する松本かおるさんの器でなんだか滋味深さも倍増する気が。友人の永井さんの新しい空間のキッチンを借り、限られた光の中で撮影してくれた在本彌生さんの写真には野菜の静かな生命力が滲み出てくるよう。「まるでセミフレッドだね」と在本さんが言ってくれた最後の品は、ごろっとした横川大根とマンゴーとリコッタとココナッツのジェラート。
江口研一(food+things)
食べたことのない味、見たことのない食材を求めて旅するように料理を。その土地で食べられるものはコトバと同じように文化と直結します。そこに暮らす人たちの物語と一緒にごはんを提供します。
霧島市横川町に代々伝わり,形状と肉質の良さから県内でも数多く栽培されている。大正時代に,時任氏が当地で栽培されていた在来ダイコンの中から優れた系統を選抜し,種子の供給をしたのが始まりと言われている。
名前の由来は「播種から収穫までが,飛んでいるツバメのように早いから」や「大根の色合いが,ツバメの羽と腹部のコントラストに似ているから」との説がある。岩崎さんは「葉っぱが他の大根と違ってツバメが羽を広げたような姿をしているから」ではないか、と話してくれたことがある。岩崎さんの横川つばめ大根は、まるで生き物のような存在感がある。丸みを帯びて、ずんぐりとしているものが多いがその形は様々。小さくコンパクトな大根を母本に選んでまとめようとしても、なんとかして大きくなろうとするのが桜島大根を代表とする南方をルーツとする大根の特徴だと岩崎さんが話してくれたことがある。岩崎さんが鹿児島の農家から譲り受けた。本家の横川つばめ大根の細長く、上が赤く下が白いはっきりとしたコントラストのある姿と、岩崎さんの横川つばめ大根とは明らかに違う。育てる人が違って土地も変わればその姿も変わっていくのが在来種らしさだが、「もしかしたら受け継いだ種は横川つばめ大根ではなく、島大根か、すでに交雑した大根だった可能性もある」と笑いながら話す岩崎さん。それもまた、人の手から手へ繋がっていく在来種のおおらかで豊かな一面のように思う。半結球の白菜。原産は中国の山東省といわれる。日本に導入されたのは1875年(明治8年)。
全国的には「シロナ」と呼ぶ地域が多い。漢字で書くと同じハクサイと区別するために「しろ菜」「シロ菜」などと表記される。京都では「はくさい菜」と呼ぶ。また関東など一部の地域では「べか菜」とも呼ばれる。